古き良きイギリスのキャロル 平井満美子/歌 佐野健二/リュート、オルファリオン(2012.12.21終了)
主催 佐保山茶論
平井満美子&佐野健二のデュオは世界でも数少ないルネサンス、バロック時代のリュート歌曲のスペシャリストとして活動されています。
デュオリサイタルに対しては「大阪文化賞」 を受賞、現在までに発売されたデュオCDは、全てが雑誌「レコード芸術」「音楽現代」等の推薦盤に選ばれています。
歌とリュート、オルファリオンによる
平井満美子/歌 佐野健二/リュート、オルファリオン
16世紀エリザベス朝のイギリスは経済、文化、芸術と、総てに花開いた黄金時代であり、音楽も宮廷人から庶民まで、総ての階級の人々に愛されておりました。宮廷ではすぐれたリュート弾きを召し抱える事を誇りとし、貴族たちは音楽を自らたしなむ事を自慢とし、人々はうれしいにつけ、悲しいにつけ、自らの気持ちを楽の音に託しました。音楽の種類も様々なのですが、その中でもはやり歌は、最も生活に密着した音楽として、生まれ育ちました。「グリーンスリーブス」や「スカボロ・フェア」に代表されるイギリスのフォークソングは人の心の様を、愛らしく、親しみやすい旋律にのせて、表わしたのです。
ジョン・ダウランドはルネサンスの最高のリュート奏者であり多くの作品を残しました。しかしながら宗教上の理由からか、憧れのエリザベス女王付きの宮廷音楽家の地位にはつけず、その失意を胸にイギリスを離れ、人生の大半をヨーロッパ大陸で過ごしました。ダウランド特有のメランコリックな響きはこのような不遇の人生が原因ともいわれますが、メランコリーは16世紀末のエリザベス朝イギリスの流行であり、ダウランドの特性はその風潮と同調しました。ダウランドは不遇を憂愁に置き換え、メランコリーを演じ、楽しんでいたのかもしれません。あまりに卓越した彼の作品からは不運な音楽家のイメージは浮かんできません。
キャロル“Carol 讃美歌”とは神を讃える歌。古今東西のキリスト教徒の人々は、神様への讃美を様々な音楽にのせて表しました。教会は人々の生活に中心にあり、多くの人が集まる場所、一種の社交場でありました。そんな教会で信仰を表す歌にみんなの知っているメロディーを使う事はごく自然な成り行きであり、フォークキャロルが人々の生活に根差し歌われました。旋律の心地よさゆえに、世界中で親しまれているイギリスのはやり歌には、地域や時代差で色々な歌詞を見い出すことができます。イギリスはやり歌の代表とされるグリーンスリーブスはもともと俗っぽい恋の歌なのですが、キャロル集に於ては新年を祝う歌詞に変えられて載せられています。そして、クリスマスの季節には多くのはやり歌の替え歌が救い主の誕生を祝ったのです。 ― リュート奏者 佐野健二 ―
演奏会にお越しになられたお客様の声
●佐野健二さんと平井満美子さんの演奏会に参加させて頂のは、今回二度目ですがお二人の息の合ったコラボレーションは素晴らしかったです。Rememder 忘れな・・・の歌には現在私たちが忘れている感謝の気持ちを取り戻せと歌っているようでした。平井さんの美声には心に響く物がありました。佐野さんがオルファリオの弦を調整されている時のユニ−クなト−クが皆さんを和ませてくれました。
●先日の平井さんと佐野さんのコンサートは、優しく素敵でしたね。音楽はなんでも美しいですが、人間の声はやはり最高の楽器だと思います。温かい平井さんの歌声に、切れの良い佐野さんのリュートが爽やかでした。
ゴールデンスランバーが、ビートルズにも影響があったとは知りませんでした。以前キングズシンガーズのイギリス民謡集に、ウェールズ語で入っていて、まったく意味が分からなかったのですがアヴォンリーへの道のTVシリーズで、病気の娘に父親が歌って寝かしつけるのを見て、やっとどういう曲かわかりました。楽譜や歌詞をなかなか入手できないまま、忘れていましたが、2月のコンサートの時に購入したCDに入っていて、今回生で聞けてとてもうれしかったです。
ジョニーというのは日本では太郎とかありふれた、名前の代表なのでしょうか?歌謡曲の「ジョニーへの伝言」は、何かイギリス古謡のジョニーと関係あるのかしら?と思いました。
2月のコンサートでは東側の窓を背に歌っていらっしゃって、私は1番前で聞かせて頂き、とても迫力がありました。今回、西側の通路側に立たれ、私は少し横手後ろから聞かせて頂きましたが、それがまたとても優しい響きで、とても心癒されました。
オルファリオンは、見るのも聞くの初めてで、興味津々でした。横から見ると、ギターと似た形ですね。リュートの少しくぐもったような音色と違い、きらびやかな余韻の長い音に聞こえました。チェンバロの音色に似ているように思います。
いつも、素敵なコンサートありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。
プログラム
《The English Folk Carols 》
●Love is come again 愛は甦る*
今 地中の種から 緑の葉は萌え 麦も芽生える 死者とともにあった愛が甦る 我が主は復活された 主よ あなたの一触れが命を甦らせる
●Remember 忘れるな*
おお人間よ忘れるな 神の恵みを 我らの罪を正すために ひとり子を遣わされたことを忘れるな 常に感謝せよ 心より喜びあふれ 神に感謝せよ
●Wexford Carol ウェックスフォード キャロル
すべての良き人々よ クリスマスの時こそ よく考え 心に留めよう 神は愛する御子を我に遣わされた ベツレヘムで聖なる救い主は生まれた
●Lute book lullaby リュートブック ララバイ
マリア様の歌われた優しい歌 "かわいい我が子 救い主となるべく生まれた御子 静かに眠れ"マリア様は歌われた お膝の上で優しく揺らして
《The English Folk Songs 》
●Green sleeves グリーンスリーブス
ああ恋人よ ひどい人だ あなたはつれなくも僕を捨てた あなたを慕い一緒にいるだけで嬉しかった グリーンスリーブは僕の喜び 楽しみ 大切な宝
●I know where I'm going 私はどこへ行くか知っている
誰を愛し誰と共に生きて行くか 私は知っている 私の恋人ジョニー 皆は良くない人と言うけど 全てを捨てて彼と共に生きて行くわ
●Golden Slumbers ゴールデンスランバー
微睡みがあなたの瞳にキスをする さあ泣かないでおやすみなさい ずっと見守っていてあげるから 子守唄を歌ってあげましょう
●The cruel war むごい戦争
戦争が激しくなり 隊長が呼びに来たらジョニーあなたは従わねばならない 私は男装して一緒に行ってもいいかしら"いいとも おいで"
●Scarborough Fair スカボロフェア
どこに行くの スカボローの市ヘかい そこの綺麗な娘によろしく言ってくれ その娘は僕の昔の恋人 パセリに セージ ローズマリーにタイム
休 憩
【John Dowland 1563~1626】
●Queene Elizabeth,her Galliard エリザベス女王の為のガリアルド
●Rest awhile you cruel cares しばらくは休んでくれ
残酷な心労よ 少し休んでおくれ ローラよ 愛の神が何と言おうと愛しておくれ もし僕が君を讃えるのを忘れたら 日の光も地獄の闇と化すが良い
●A Fancy ファンシー
●Time stands still 時は静止して
すべてのものは変わりゆくのにあの方はずっと美しいまま 愛の神が目の美しさに盲いて彷徨い 運命の神もあの人の足元に捕らわれて裁かれ征服される
《The English Folk Carols 》
●Coventry Carol コヴェントリー キャロル*
眠れ 幼い御子よ あわれな御子よ 悲しみは胸に満ち 御子に訪れる死を思えば 朝も夜も声もとぎれ 歌うに歌えぬほど
●Down in yon forest 向こうの森の中に*
月が輝く今宵 森の中の館で救い主がお生まれになった"天国の鐘の音が聞こえる 誰よりも愛するお方は我が主イエス"
●The Angel Gabriel 天使ガヴリエル
翼は雪のように白く瞳は炎のようなガヴリエルは言った"おめでとうマリア 最も恵まれた方よ 栄光あれ 後の世までも人々はあなたを誉め讃えるだろう"
●Kings of Orient 東方の三人の王
王者の美に輝く星は西へと導き 御子へと我らを連れゆけ 王冠を与えるための黄金、乳香、没薬を捧げる 王 神 そして犠牲となられた主よ アレルヤ
●Rocking そっと揺らして
小さなイエス様 むずかってはだめ 楽しく眠れ 御子の小さな体を暖かく包んでくれる毛皮をお貸ししましょう かわいい 小さな御子よ
出演者プロフィール
平井満美子 Mamiko Hirai/ソプラノ
神戸女学院大学音楽学部声楽科卒業。卒業後、古楽の演奏に興味を移し研究を始め、E.カークビー、J.キャッシュ、C.ボットらに学ぶ。現在、ルネサンスよりバロックを中心に、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、ドイツの幅広いレパートリーを持つ、数少ない古楽の歌い手として活動している。多くのコンサートと録音を行い、その演奏は新聞、音楽誌等にて常に高く評価されている。現在までに発売された佐野健二とのデュオCD13点全ては雑誌「レコード芸術」「音楽現代」等の推薦盤に選ばれ、デュオリサイタルに対しては「大阪文化祭本賞」を受賞している。アーリーミュージックカンパニー主宰、NHK文化センター講師。
佐野健二 Kenji Sano/ リュート、アーチリュート
英国・ギルドホール演劇音楽院首席卒業。ギターを岡本一郎、H.クワイン、B.オー、J.ブリームの各氏、リュートをA.ルーリー、N.ノース、J.リンドベルイの各氏に師事。演奏活動に対し、「ロンドン芸術協会選出1978年度新人音楽家」「大阪文化祭賞」等、多数の賞を受ける。現在、ルネサンス、バロック期の撥弦楽器を中心に、独奏・伴奏・通奏低音奏者として演奏、録音活動を行っているが、 そのレパートリーは民族音楽より現代音楽にまで及んでいる。2007年、リュート音楽に特化したEMCluteRecordsレーベルを設立、自ら演奏、録音編集、ジャケットデザインを総合的に行い、発売されたCDは専門音楽誌において優秀録音盤、推薦盤等として評価されている。相愛大学非常勤講師。アーリーミュージックカンパニー主宰。
アーリーミュージックカンパニーHPはこちら
平井満美子&佐野健二の演奏がYou Tubeでご覧いただけます。
You Tubeはこちら
2012,12,21, Friday
風雅な午後〜呈茶、お話、チェンバロ〜(2012.10.27終了)
主催 佐保山茶論
チェンバロ 北畠奈美恵
呈茶監修 茶道裏千家 岡本宗成
繊細で優雅な音色を奏でるチェンバロの調べにのせての呈茶(抹茶・和菓子)、千利休の七人のお弟子さんについてのお話、そして最後にチェンバロの演奏でフランスの宮廷作曲家の作品をお楽しみいただきました。
お客様からご感想をいただきましたので紹介させていただきます。
● 昨日はありがとうございました。とても有意義で楽しいひとときでした。日本の文化と西洋の文化を同時に味わうことができる奈良ならではの素敵な催しだと思いました。
チェンバロの演奏を聴くのが一番の目的で参加しましが、千利休の話もとても興味深く面白かったです。利休の父親が手広く商売をしていて、納屋衆、会合衆の一員で今でいう財閥のような存在だったというくだりは初めて知りました。お茶会を催すのも財力が必要でしたでしょうから、父親の経済力がサポートになったのではと推察します。
チェンパロは、今のように右手で主旋律を弾き、左で伴奏をするパターンではなく右手と左手が掛け合いをしている感じが面白かったです。「プロヴァンスのラヴェンダー」のお琴のようなリュートの音も素敵でした。「ガボットとドゥーブル」の後半は迫力があって引きこまれました。
● 素晴らしい音楽ありがとうございました。立礼のバックミュージック(ルイクープラン)も素敵でした。ソロの演奏はフランスものの雰囲気がとても出ていました。お話も自然でよかったです。きめ細やかな神経をつかうチェンバロの演奏、ピアノとはまた違った表現ですね。
●佐保山茶論に何度か通ううち、最近では演奏そのものと共にそれぞれの楽器自体が醸し出す独自の味わいまでも自然に楽しんでいる自分に気が付いています。
これはきっと身体の芯にまで響いてくる音楽と共に一音に集中する奏者の息遣いまでもが心地よく感ぜられるサロンという極めて密度の濃い小空間のお陰ではないかと思っています。
今日は普段あまり接することの少ないチェンバロという楽器の持つそれぞれの個性について認識を深めることのできた貴重なコンサートでした。
北畠奈美恵氏による演奏が進むにつれ、今まで聞き慣れて来たどちらかというとドイツ様式のクリアカットで硬質なチェンバロの響きとは明らかに異なるまろやかで艶のある響きを醸し出す今日の楽器の特性に引き付けられて行きました。
ピュアで艶やかな極上の絹糸を弾いているような心地よさがサロンの空間を満たし、ラモーやクープランといったフランス宮廷作曲家の作品により一層の輝きを添えていました。
演奏会終了後プログラムを詳細に読んでみると、今日のチェンバロはフランス様式に則り
設計、制作されているとのこと。
演奏そのものに加え、奏者の奏でる楽器そのものが持つデリケートな奥深さ。ホールでは体験が困難なより深い音楽体験が、サロンという空間では可能にしてくれます。
これからも佐保山茶論を通じ、より多くの演奏家との出逢いを楽しむとともに自身の音楽への感性により磨きをかけていければと願っています。
第1部 呈茶(抹茶・和菓子) 監修 茶道裏千家 岡本宗成
チェンバロの調べにのせて呈茶を楽しむ。
立礼(りゅうれい)によるお点前 岡本佳子
チェンバロ演奏 北畠奈美恵
和菓子は、奈良町にある「樫舎(かしや)」の「上生菓子〜季節のお菓子〜」。樫舎の主人喜多誠一郎氏は素材とその素材を生かした和菓子作りに徹底したこだわりを持つ創作和菓子職人。
樫舎HPはこちら
第2部 千利休の七人のお弟子さんのお話
演題「利休と七哲」
講師:歴史研究家 吉岡秀一
第3部 チェンバロ演奏会
演奏者 北畠奈美恵
プログラム
ルイ・クープラン(1626年頃 - 1661年)
組曲ヘ長調
プレリュード - アルマンドグラーヴェ - クーラント - ブランバスク - ジーグ - シャコンヌ
ジェルメーヌ・タイユフェール(1892年 - 1983年)
フランスの花より
ベルンの昼顔 - アンジェーのバラ - プロヴァンスのラヴェンダー
ジャン・フィリップ・ラモー(1683年 - 1764年)
ため息
ガヴォットとドゥーブル
フランソワ・クープラン(1668年 - 1733年)
第26 オルドル
病みあがりの女 - ガボット - ソフィー - 気むずかしい女より - パントタイム
◇チェンバロ奏者 北畠奈美恵プロフィール
北海道生まれ。宮城学院女子大学学芸学部ピアノ科卒、ピアノを遠藤安彦氏、古賀るい子氏に師事。チェンバロをウィリアムハイルス氏、中野振一郎氏、有賀のゆり氏に師事。ソロ、アンサンブル、通奏低音奏者として活動している。
奈良市内でピアノチェンバロ教室主宰。
20年前私は滋賀の山のチェンバロ工房を訪ねました。ピアノとは違う語法でクープランやバッハを弾いてみたいと思い始めていたのです。新しくできあがったチェンバロを弾いてみて驚きました。私の今までの奏法、感覚をすべてはね返してくるようなよそよそしさ荒々しさです。けれど何ともいえない響きに魅せられて、子育てをしながらお鍋をみがきながらこのチェンバロを弾いてきました。つるりとしていた黒檀の鍵盤の表面は木肌があらわれてきています。あんなによそよそしかった楽器もやっと最近少しだけ寄り添ってくれ始めました。 −北畠奈美恵−
使用楽器
ニコラブランシェ(パリ1660-1731)の設計図をもとに春山直岳氏が制作した二段鍵盤のフレンチスタイル。北畠奈美恵所有。
チェンバロは様式の違いでかなり異なった音色がします。こうしたこともチェンバロの魅力のひとつです。
今回北畠奈美恵さんが使用されるチェンバロはフランス様式チェンバロ(フレンチ・チェンバロ)です。
フレンチ・チェンバロのまろやかなアタック、ならだかな減衰、音域による音色の変化はクープランの曲を演奏するのに不可欠です。
武久源造氏が当茶論の演奏会で使用されたチェンバロはドイツ様式チェンバロ(ジャーマン・チェンバロ)でした。
ジャーマン・チェンバロの明確なアタック、ドラマティックな減衰、豊かな残響はバッハの曲を演奏するのに不可欠です。
◇歴史研究家 吉岡秀一プロフィール
大学・大学院の専攻は農政学、仕事も農業関係に就き、奈良県でも有数の農政通として知られた。一方、小学校低学年の時から「歴史おたく」で、就寝後にみる夢には歴史上の有名な出来事や人物が現れるほどで、夢にはビルや車道など文明的な光景がいっさい現れず、毎日、歴史関係の本に読みふける。そうしたことで、歴史勉学歴は50数年、知人・友人の言では稀代の歴史通だという。退職後、市・町の求めに応じて歴男・歴女を任ずる社会人を対象に歴史講座を担当しているが、他方、食糧・農業・環境問題等でも講演活動を続ける。講座内容は、民俗学、社会学、農政学、政治学、経済学など多面的な考証を加えるため歴史の切り口が斬新であると受講生から好評を博す。平成19年4月〜平成20年9月にかけて月刊奈良にて「大和の生んだ歴史上の人物」(全16回)を掲載。現在、大和郡山市三の丸会館、片桐地区公民館、奈良県立橿原文化会館で歴史文学講座講師。奈良の食と農を考える「なら文化創研21」プロデユーサー。
奈良出身の侘び茶の始祖村田珠光より百年を経て侘び茶を完成させ、茶道千家流の始祖となった千利休。その利休の七人のお弟子さんのお話を「利休の七哲」という演題で講演します。
桃山時代は茶の湯文化が政治や経済より上位に位置した不思議な時代でした。その中心にいたのが、秀吉の茶頭千利休でした。日本文化界に君臨する利休の権勢、影響力はほとんど関白秀吉に匹敵しました。やがて、利休の精神的、求道的な茶は秀吉と相容れず、秀吉から死を賜ったのでした。利休同様に権力に癒着しながらそのくせ生命と家門をかけて権力に反抗した七人の高弟たちの生き様にふれてみます。−吉岡秀一−
2012,09,09, Sunday
桐山建志 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル〜魅惑のバロックヴァイオリン〜 (2012.9.17 終了)
主催 佐保山茶論
バロックヴァイオリン&モダンヴァイオリン 桐山建志
前半の部はバロックヴァイオリンによる演奏、そして後半の部はモダンヴァイオリンによる演奏でした。
後日、お客様から演奏会の感想をいただきました。
・昨日の桐山健志さんの無伴奏ヴァイオリンコンサート、素晴らしかったです。バッハは、両手、10本の指を使っても、4声をクリアーに聞こえる演奏は大変なものです。弓1本、左手5本の指でメロディ、低音が明瞭に引き分けられているのに、驚きました。バロックヴァイオリンの素朴な太い音色が、伸びやかに降るようにあふれて、バッハと桐山さんの素晴らしさ、佐保山茶論の濃密な空間を堪能させて頂きました。ありがとうございました。
私が、1番感動したのは、やはりバッハのシャコンヌです。武久さんのシャコンヌを聞いて、これ以上の演奏はないのではないかと思っていましたが、バッハがヴァイオリンのために書いた曲、ヴァイオリンのシャコンヌはまた別世界の感動でした。緊密で、一分の隙もない緊張感、激しい怒涛の低音部、すっかり演奏の波に押し流されました。しばらくは、拍手も忘れてしまうぐらいでした。
これからも、素晴らしい音楽、intimateな空間で私たちを楽しませて下さい。
・9月17日(月)佐保山茶論において桐山建志さんの演奏を聴く機会を得ました。私にとりましては初めての佐保山茶論コンサートでしたが、閑静な住宅街、緑に囲まれた会場は満席ながらも、ゆったり流れる至福の時間を感じさせてくれました。奏者からはバロックヴァイオリンについて楽器の説明〜曲目の解説も詳しくしていただきました。私は最前列、真ん中の席ということもあり、古楽器独特の音色、指使い、弓使いの細かな動きまでサロンならではの体験、発見をさせていただきました。
前半のプログラムはバッハのパルティータ3番のプレリュードから始まりビーバー、テレマン、バッハのソナタ3番と演奏されました。ガット弦(羊の腸を撚った弦)の響きは金属弦とは違った、柔らかい音色の中にも芯のある響きに唖然と聴き入りました。解放弦(指を押さえないで弾く)の響き、ノンビブラート(指を震わさない奏法)特にピアニッシモ(最弱音)の響きには鳥肌が立つという最近忘れていた体験をしました。
後半はモダンヴァイオリン(現代の楽器)での演奏でしたが、進化した楽器の違いを改めて感じました。イザイ、ヒンデミットと、バッハを意識して作曲された作品はどれも時代を超えながらも、力強いバロックの響きがありました。もし、あの大バッハが聴いていたら「おー、ここまでやれるか!!」と。最後はパルティータ2番、シャコンヌは、名だたるヴァイオリニストが多くの名演奏を残していますが、桐山さんの演奏は決して自己主張を前面に出すという派手な演奏ではなく、偉大な作品に対して畏敬の念を払い、言葉を換えれば、素晴らしい作品には余分な雑念は入れなくて、ただ忠実に音を再現するだけで充分である。そういった暖かい人柄を感じさせる、しかしそのためには物凄い技術力と精神力が、そんな事を垣間見たすばらしいコンサートでした。
コレッリのソナタを録音されたCDが近く発売されるとのこと、是非、佐保山茶論で、また、かぶりつきで聴いてみたいことであります。
・桐山さんのバッハを聴きながら、シゲティのことを考えていた。
私は、日常的にバッハのパルティータとソナタを、シゲティ晩年の録音で聴いている。その音は無骨で、決して美しくはない。「魅惑のヴァイオリン」「ベルカントの歌、ビロードのように滑らかなヴァイオリン」というような言葉を拒否して、ひたすらバッハの音の世界を紡ぎだすのに専心していると感じている。私の持っているCDジャケットの表紙には、書棚をバックにヴァイオリンを手にして立っているシゲティの姿が写っている。まさに演奏内容と音にふさわしい写真だと思う。
そんなシゲティと桐山さんを比べるのは、あるいは桐山さんに対しても礼を失していると言えるかもしれない。桐山さんの演奏技術は、多分シゲティを超えているであろう。たとえば、ピアニッシモで長く音を引いて、曲を終止させる技術、あれはシゲティには期待できないと思う。まさに息を呑まずにいられない弦特有の美しさは、桐山さんの技術の勝利に違いない。
にもかかわらず、私は桐山さんのバッハを聴きながら、シゲティの音を感じていた。シゲティのヴァイオリンは当然モダン、桐山さんはバロックヴァイオリンを弾かれた。音自体に相当な違いがあって当たり前。だが私はシゲティがバロックヴァイオリンを弾いていたと勘違いしてしまっている自分に気がつくのである。あるいは、表現力の制限された楽器(バロックヴァイオリン)で演奏するのが、バッハにはふさわしいと言えるのだろうか?
なお、桐山さんは「シャコンヌ」を随分速いテンポで始められた。やがて落ち着く(ように感じた)のだが、あれはなぜ?確かにシャコンヌは古くは快活な舞曲であったというのは、ネットを見ればすぐ得られる知識ながら、大多数の演奏家はゆったりとしたテンポで始め、思い入れたっぷりの曲に仕立てる。更に言えば、「歌う人」カザルスだったらもっとゆったりした始まりを要求したかもしれない、などと想像する。それにはそれなりの理由があるに違いないと思うし、桐山さんがそんな思い入れを拒否した、そこに彼のバッハ研究の結実があるに違いないとも思うのだが、演奏家は演奏でしか答えないという面があるから、言葉で説明をお求めるのは無理なのだろうか?
始まりのテンポがどうであれ、やがて曲自身の持つエネルギーは聴く者を圧倒する。桐山さんの「シャコンヌ」もそうで、当日の最後を締めくくる充実した思いが聴衆を包んだのは明らかだった。
こんなことを感じ、考えながら時を過した一時だった。
(前半の部) バロックヴァイオリンによる演奏
曲 目
バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番ホ長調よりプレリュード
ビーバー:パッサカリア
テレマン:ファンタジー第9番ロ短調
バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調
休 憩
(後半の部) モダンヴァイオリンによる演奏
曲 目
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番より第1楽章
ヒンデミット:無伴奏ヴァイオリンソナタ作品11-6
バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ニ短調
プロフィール
桐山建志(きりやまたけし バロックヴァイオリン)
東京藝術大学器楽科大学院修了、フランクフルト音楽大学卒業。1998年、第12回古楽コンクール「山梨」第1位、第10回栃木「蔵の街」音楽祭賞受賞。1999年ブルージュ国際古楽コンクールソロ部門第1位。2005年、古楽コンクール「山梨」の審査員を務める。レコード芸術特選盤「シャコンヌ」(CAIL-728)を皮切りに、多数のCDを主にコジマ録音よりリリース。シリーズCD「ヴァイオリン音楽の領域」(ALCD-1045,1055)などでも高い評価を得る。2009年、ベーレンライター社より星野宏美氏との共同校訂による「メンデルスゾーン:ヴァイオリン・ソナタ全集」の楽譜を出版。
現在、「エルデーディ弦楽四重奏団」ヴィオラ奏者、愛知県立芸術大学准教授、フェリス女学院大学講師。
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桐山建志に関する雑誌・新聞記事はこちら
桐山建志の演奏会の感想・批評はこちら
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レコード芸術 2002年10月号
演奏における“自由”について 吉田秀和
アーノンクール、ブリュツヘン、クイケン、ガーディナー……頭に浮かぶ−−−というより順序も何もなく、ただ口に出てくる名前を書き連ねながら、その名の下できいた、いわゆる「古楽器による」演奏のはしばしを思い出してみると、この人たちの仕事が、ヨーロッパ音楽の演奏の歴史の中で果たした役割の大きさに、いまさらのように、感心する。あれは、本当に大きな解放だった。この人たちのそれぞれがその中でまたずいぶん大きな違いをもってではあったが−−−活動がなかったら、今私たちが目の当たりしている音楽界の在りさまはまるで違っていたにちがいない。
フルトヴェングラーがいて、カラヤン、バーンスタインがいようとも、ホロヴィッツ、リヒテルがいようとも、グレン・グールドが、ハイフェッツがいようとも、音楽は化石とまではいわなくとも、何か動きのとれないような、こわばった表情のものになっていたのではないのだろうか。
私は、いつも書いてきたように、「古楽」一点張りではなく、またフルトヴェングラーさえいれば、クライバーも何もほかのどんな指揮者もいなくていいという考えのものでは全くないのだが、それでも、こういう流儀の大指捧者、大演奏家だけでは、モンテヴェルディからバッハに至るまで、モーツァルトからブラームス、マーラーにいたるまで、ドビュッシィからブーレーズに至るまでの音楽でさえ、果たして二十世紀を生き延びてこられたかどうか、わからなかったような気がする。
この間も、私はレオンハルトのバッハ、鈴木雅明さんのバッハをきいて、改めて感動した。そうして、最近では桐山建志さんのヴァイオリンと武久源造さんのチェンバロによるバッハ(ヴァイオリンとチェンバロのための)BWV1014から1016に至る三曲のソナタを、ちよっと言葉で言ってみるのも下らないと思ってみるくらい、おもしろくきいた。このニ人の、同じ古楽器派の人たちともまたちょっと手ざわりの違うバッハをきいていると、本当にバッハが新しく生きかえってきたような気がする。今まで寝ていたのが、起き上がって来て、きいている私に向かって、「やあ」と話しかけて来るような気がしたのだった。私はカール・リヒターのバッハが好きでよくきいてきたが−−−今でも、時々ききかえす−−−鈴木雅明さんのバッハの身近な感じは、また、格別の味わいである。それと同じというのではないけれど、この桐山・武久のバッハは新鮮で、しかも身近だ。つまり、「あっ、こんなところもあったっけ」と改めて気づく個所もたくさんある一方で、何か初めて出会った珍しい人の話をきいているというのとはまるで違うのである 。
たまたま、ヘンリク・シェリングの来日演奏会(1976年東京文化会館)でのオール・バッハの曲集によるCDが来たので、それをきいてみた。シェリングのバッハは、あのころ、心ある人たちの中には最高のバッハと考えているものが少なくないくらい高く評価されていたのである。今、そのCDが出て、きき直してみると、りっぱなものである。シゲティの知性の勝った行き方とはまた別の「精神美」の輝きは、これをきいても、ありありと思い出されてくる。
しかし、桐山・武久のコンビのバッハのもつ「自由で、生き生きと呼吸している感じ」に比べると、これは何としかめつらしい硬いものだろう。この二人と違って、きいている間にだんだん近くによって来るというのでなくて、あくまでも威儀を正して、向こう側を歩いている人の姿をみているような感じである。どの音をとっても、どのフレーズをとっても、無駄一つない、引き締った精神の充溢があるのは確かだが、きいていて、とてもとても、こちらから話しかけるなんて気にはなれない。りっぱなものだけれど、そんなに始終聴く気にはなれない。
私は、何もシェリングの価値を貶めようと思って書いているのではない。それに、これはシェリングだけのことでもない。トスカニーニだって、ムラヴィンスキーだって、こうだった。
そういう大家たちの演奏を、さんざんきいて来た私たちにとって、アーノンクール、クイケン、トン・コープマンなどなどの人たちが出て来たことは何と大きな救いだったことだろう!彼らがどう意識していたか、私はよく知らないけれど、この人たちが「かけがえのないヨーロッパ・クラシック音楽」の源泉に立ち戻って、新しく出直したということの意味を、全く知らずに仕事をはじめたということは考えられない。
その結果が、果して、「カエサルのものはカエサルに」戻したように、音楽を再び「古の響」そのものに帰したのかどうかは、わからない。この分野での知識も何も欠けている私の想像では、彼らのやったことは、かって十六世紀末から十七世紀初頭にかけてのフィレンツェの人文主義者たちが「古代に戻る」ことを目指して、音楽劇をつくることを通じて、オペラという破天荒の新しいものを創造したのに、むしろ、似たような結果になっているとしても、不思議ではないのではないかという気がする。
それくらい、「古楽器派」の人たちは音楽を新しくよみがえらせた。あるいは新しいよみがえりへの霊感と、そのいろいろな手がかりを提出した。
(後略)
佐保山茶論における
桐山建志&武久源造の演奏のYouTube動画はこちら
レコード芸術 2005年12月号
NEW DISC & ARTISTS 7 那須田 務
(前略)いつもながら、桐山建志のヴァイオリンを聴いていると心が伸び伸びしてくる。この無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番を聴いてみていただきたい。こうした、ストレスのない、音の伸びやかさはバロック・ヴァイオリンの魅力の一つだが、バロック・ヴァイオリンを弾くすべての奏者がそうであるわけではない。気取りや倣慢さや見栄があれぱ、たちまち音は曇ってくる。桐山のバッハの「伸びやかさ」は、とりもなおさず御本人の人柄だろう。温かくて豊かな音色、大らかなボウイング、ブレのない確かなテクニック、そして、多様なアーティキュレーションによる語りが彩りを添える。静かに、一つ一つの音を確かめるように弾かれるサラバンドのドゥープルには艶やかな光沢がある。この歌と語りの「艶」も桐山の魅力だ。(後略)
音楽の友2011年12月号
2011.10.18東京オペラシティ近江楽堂演奏会評
那須田 務
(前略)久しぶりに聴いた桐山は音色やアフェクト(情念)の表現がさらに深みを増し、1曲目のコレッリ「第1番」から即座に音楽に惹きこまれる。ガット弦の温かな音色とよく語るアーティキュレーション、即興的な装飾音がすばらしい。(後略)
2012,07,19, Thursday
河野保人/河野直人 ツィターコンサート(2012.7.7終了)
主催 佐保山茶論
中世、放浪する吟遊詩人がかき鳴らした竪琴。それから生まれたというルネッサンス・バロック時代の弦楽器ツィター。心の琴線に触れるその音色。本場ヨーロッパのツィターリストにも注目された世界的名手河野保人氏とそうした父の影響を受け継ぎツィターの新たなる可能性を追求し新境地を開拓し続けている河野直人氏によるツィターコンサート。これぞ名匠の極みともいえる河野野保人氏の演奏と含蓄あるお話しは聴く者に感動を与えました。河野直人氏の演奏はツィターの新しい魅力を引き出した演奏で、氏のセンスの良さを堪能出来ました。それにしてもナイロン絃と金属絃の硬軟併せ持つツィターの音色は魅力ある音色です。
お客様からメールで以下の感想をいただきました。
●ツィターの名前も音色も知ってはいましたが、生の演奏は初めてでした。「チャルダッシュ」を聴きながら、私は、陶酔してしまい、なぜか、万葉の悲劇の主人公を思い浮かべ、涙が出そうになりました。胸もつまってきました。でも、曲が終わったら、消えてしまいました。佐保山茶論の環境がそうさせたのか、ツィターの演奏がそうさせたのか分かりません。初めての経験です。感動の響きであったことは事実です。
プログラム
◇ツィターデュオ
●W.A.モーツァルト K.351/編曲 河野保人:愛しのツィター
●河野保人:チャルダッシュ
◇ツィターソロ
●河野保人:聖なる森
●河野保人:キンノールを奏でる旅人
“ 休 憩 “
◇ツィターソロ
●河野直人:カサブランカの商人
●オーストリア民謡/編曲 河野保人: 美しきオーストリア旅情
●河野保人:ハイデルベルクの想い出
◇ツィターデュオ
●A.カラス/編曲 河野保人:カフェ モーツァルト ワルツ
●A.カラス/編曲 河野保人:第三の男
□プロフィール
河野保人 Yasuto KOHNO
現代世界最高の実力を誇るツィター界の第一人者。
日本及びヨーロッパで活躍する。また、古代ギリシャ時代から伝わるツィターの試作と復元を続け、現在62台を所蔵。埋もれた古典の採譜、楽譜や文献の収集と研究に取り組み、これらのコレクションはすでに3,000曲を超えている。自らツィター音楽の作曲・編曲も手掛け、ツィターの普及・紹介に努めている。
1960年当時の西ドイツに留学。ハイデルベルクを中心に“アンサンブル・カンソー”を率いて演奏活動。職業取得権を得てドイツ各地で活躍。この時期に培った古典音楽から現代までの広範な領域のツィター音楽を手掛けている。
1980年「ツィター奏者河野保人を聴く会」が設立され、毎年制作しているCD「河野保人ツィターアルバム」は世界に類を見ない永久保存盤として高い評価を得ている。
1988年7月には「ツィター奏者河野保人後援会」(会長寛仁親王殿下)が設立され、各地で活動していた北海道から九州までを、東京本部を中心とした全国組織として発足。現在27の支部が結成されている。
1995年5月、後援会主催、世界初演「ツィター協奏曲の夕べ」(美しきツィターの世界)を公演。エレガンスを巧みに融合した鮮やかなツィターの醍醐味を発揮。ツィター音楽史上、記念すべきコンサートとなる。これを皮切りに「ウィーン春のよろこび」「ウィーンの香る夕べ」「ツィターファンタジー」などオーケストラと協奏曲を共演。格調高い優雅な響き、人間的な暖かさ溢れる演奏の素晴らしさは聴衆を魅了、感動をあたえる。
ツィターの本場であるオーストリア・ドイツ等では、ツィター音楽の神髄を究めた、純度の高い生演奏を聴くことが不可能になってしまった今、ヨーロッパの国々から、氏にたえず演奏の招きがあり、且つ、「永住」の誘いすらあります。従って河野氏の存在は我国が世界に誇る宝といえましょう。
河野直人 Naoto KOHNO
父であり、世界的なツィター奏者河野保人にツィター、ヴァイオリン、ピアノ、作曲の手ほどきを受け、幼少時代はドイツ、ハイデルベルクで過ごす。
1980年、再度渡欧、各国にてツィター音楽修行に励む。各地でのコンサート、ライブ活動は、各地の新聞紙上に掲載され、その才能、美しい音色、繊細な感性、テクニック、音楽性、構成力を絶賛される。現在、ソロ活動の他、様々なミュージシャンのアルバム制作、コンサート、ドラマ、映画のサウンドトラック、CM等の音楽制作に多数参加。
2007年4月に「ツィターに恋して」を全国リリース。
2007年5月にハワイ・マウイ島でコンサートを行ない、その際のライブ録音盤「On the Strings of Heaven」を全米にリリース。
ツィターの普及に努めている父の影響を受け継ぎ、楽器ツィターの新たなる可能性を追求し新境地を開拓。多彩な音楽性を発揮しレパートリーも幅広く、現代的でシャープな感性の演奏スタイルは、多くのファンに将来を嘱望されている。
ツィター(Zither)について
ツィターの由来
ツィター(Zither)の文献として名高いブランデルマイヤー(Dr. Josef Brandelmeier) -「Handbuch der Zither」の説によれば、ツィターの由来を探究すると、“einen altehrwurdingen weg”)「古代聖なる道」に行き当たると記されています。
現代のツィター
ギターとハープを合わせたような性能を持ち、メロディーを弾く旋律絃とリズム・ハーモニーを作る伴奏絃の両方が一台になった撥絃楽器で、テーブルや膝の上に置いて演奏します。
演奏方法
左手でフレットを押さえて音階をとり、右手は親指(ピックをはめる)で旋律弦を、残りの指で伴奏絃をそれぞれ弾いてメロディーとハーモニーを奏でます。
形態
絃の本数も旋律弦が3〜7本、伴奏絃が10〜37本と楽器によって異なり、大きさも大小様々で、中には、絃が70本を超えるものもあります。
調絃
ウィーン式とミュンヘン式の2方式を標準としますが、地方により独特の演奏法、楽譜もあります。
種類
ツィターには実に50以上もの種類があります。古来、多くの演奏家により改良がなされ、その形も製作者の好みにより、意匠をこらした美しいものがあり、優雅な楽しさにあふれています。南ドイツ・バイエルン地方やオーストリア・チロル地方の人々がもつツィターに示す愛着にはなみなみならぬものがあります。
ツィターの魅力
第一にその音色にあります。
旋律絃は金属の持つ硬質の澄んだ甲高い音を出します。名演奏家の手によって演奏される時には、硬軟対照的な音が絡み合い、混じりあい、まさに妙なる調べ、あやなす音色をかもし出します。
第二に、複雑な演奏が出来ることです。
絃の数が多く、しかも旋律、伴奏と二つの性能、二台の楽器を一度に弾いたような演奏が出来ます。
第三に、オリジナル曲に恵まれていることです。
わが国では、映画「第三の男」、ヨハン・シュトラウスの「ウィーンの森の物語」が有名ですが、ツィターのオリジナル曲は、民謡・協奏曲等、文字通り数知れないほどあります。19世紀には、ツィターのパガニーニといわれたヨハン・ペッツマイヤー(J.Petzmayer-1803~1884)や、マックス・アルバート(M.Albert-1833~1882)などが思い出されます。特にゲオルク・フロインドルファー(G.Freundorfer-1881~1940)の残した曲には、「心への道」「スィンギング・ツィター」「美しき緑のイザール」など素晴らしいものがあります。
しかし、この魅力的なツィターも、演奏方法が極端に難しいため、本場ヨーロッパにおいては、絶滅に瀕しているのが現状で、かつては、アントン・カラス、シモン・シュナイダーといった名演奏家がいましたが、今では名手の生演奏を聴くことは大変困難になっています。
YouTube河野直人によるチターの解説はこちら
2012,05,07, Monday
Genzoh バロックの神髄 (2012.5.4終了)
主催 佐保山茶論
武久源造/チェンバロ、フォルテピアノ
山口眞理子/バロックヴァイオリン、チェンバロ
□使用鍵盤楽器
ペダルチェンバロ(フィリップ・タイアー製作、武久源造所有)
ジルバーマンフォルテピアノ(深町研太製作、武久源造所有)
お客様の声(アンケートより。)
●素晴らしい!!グレイト!!ロワイエのスキタイ人の行進はショッキングなまでのパワフルなサウンド!そしてJ.S.バッハのヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタは開放感一杯で素晴らしく楽しい演奏でした。今回の楽器の配置は細かい音の違いも良く聴けまた、音の伸びもより良く素敵なサウンドでした。
●いつもながら素晴らしいかったです。武久さんのブクステフーデをじっくり聴きたかったのでとても良かったです。ペダルチェンバロの音が鋭い打楽器のようでおもしろかったです。追加公演のゴールトベルク変奏曲全曲聴けて最高でした。
●家族的なコンサートに感激しました。バッハの時代のように演奏者が調律するなんていいですね。BWV1015のヴァイオリンの演奏良かったですね。BWV1061aは2台の楽器のハーモニーとお二人の息がピッタリ合っていてすばらしいと思いました。
●どれも良かったですが、BWV964そして追加公演のゴールトベルク変奏曲、アンコールの曲、ブラボー!!武久先生の演奏たっぷり聴けて良かったです。解説とても分りやすく興味深かった。
●素晴らしく心がなごみました。すべて最高に良かったです。
●演奏も、場所と室内、庭、雰囲気も良かった。
●演奏と庭が良かった。
●チェンバロの響きに感動しました。
曲 目
●J.S.バッハ=武久源造:ソナタニ短調 BWV964
(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003のバッハによる編曲〔さらに武久源造により編曲〕)
(ジルバーマン・ピアノ独奏)
●ビーバー:ロザリオのソナタより 第16番 パッサカリア
(無伴奏ヴァイオリン独奏)
●ブクステフーデ:プレルディウム ト短調 BuxWV163
(ペダル・チェンバロ独奏)
●ブクステフーデ:フーガ ハ長調 BuxWV174
(ペダル・チェンバロ独奏)
●J.S.バッハ:ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ 第2番
イ長調 BWV1015
(バロック・ヴァイオリン&ジルバーマン・ピアノ)
休 憩
●F.クープラン:第8オルドゥルより 女流画家 上流詩人(アルマンド)クーラント 風変わり(サラバンド) ロンドー パッサカーユ
(チェンバロ独奏)
●ロワイエ:スキタイ人の行進
(チェンバロ独奏)
●J.S.バッハ(山口眞理子・武久源造共編):2台の鍵盤楽器のための協奏曲
ハ長調 BWV1061a
(ペダル・チェンバロ&ジルバーマン・ピアノ)
(アンコール)
●J.S.バッハ(武久源造編曲):目覚めよと呼ぶ声あり BWV645
(ペダル・チェンバロ&バロック・ヴァイオリン)
追加公演曲目
●J.S.バッハ:ゴールトベルク変奏曲 BWV988
(チェンバロ独奏)
●武久源造:Amare Veritatis II
(バロック・ヴァイオリン&ジルバーマン・ピアノ)
●武久源造:幸せの方程式
(バロック・ヴァイオリン&ジルバーマン・ピアノ)
追記:繊細な音のするチェンバロやフォルテピアノは気温や湿度によっても、あるいは弾くうちにも調整しなければならない非常にデリケートな楽器です。当時はまだ大ホールで演奏する時代ではなく、宮廷の広間や裕福な家庭の部屋で演奏されていました。大ホールの時代に開発されたピアノとは違い、チェンバロやフォルテピアノは近くで聴くことを想定して開発された楽器です。チェンバロやフォルテピアノは当時と同じような環境の小ホール以下の会場で聴いてこそ、その持ち味を十分堪能出来ます。
■出演者プロフィール
武久源造 Genzoh Takehisa [鍵盤楽器]
東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり様々なレパートリーを持つ。1986年からは作曲、編曲作品を発表。1991年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(米国・アトランタ)、また1997年および2001年、第7回および第11回「古楽コンクール」(山梨)ほか、多数のコンクールに審査員として招かれる。1998〜2010年フェリス女学院大学音楽学部及び同大学院講師。
1991年よりプロデュースも含めおよそ30作品のCDをリリース。中でもチェンバロによる「ゴールトベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集 Vol.1」、フォルテピアノによる「バッハmeetsジルバーマン・ピアノ」等、全17タイトルのCDが「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。
武久源造オフィシャルサイトはこちら
山口眞理子 Mariko Yamaguchi [バロックヴァイオリン&鍵盤楽器]
2歳よりヴァイオリンを、東洋英和女学院在学中よりオルガンを始める。フェリス女学院大学及び同大学院音楽研究科オルガン専攻修了。2008年オルガニスト協会新人演奏会に、2009年メンデルスゾーン「パウロ」(東京カテドラル)にオルガニストとして出演。ヴァイオリンを故・鷲見康郎氏に、オルガン・チェンバロ・バロックヴァイオリン・アンサンブルを武久源造、桐山建志両氏に師事。ペダルチェンバロや手ふいご式ルネサンスタイプオルガンとヴァイオリンでの録音など、世界初の試みを次々と発表。現在各地でオルガン・ヴァイオリン・チェンバロ奏者として活動。
CD:「バルダキン・オルガンの世界」ALCD1121(レコード芸術2011年4月号他 特選盤)、「Aqua Veritatis真理の水」(東京カテドラル)、バッハ:協奏曲集第4集「未来系バッハへの道」ALCD1127(レコード芸術2012年2月号他 特選盤)。
ジルバーマンフォルテピアノとは・・・
1747年5月、ポツダムでヨハン・セバスチャン・バッハがプロイセン国王フリードリヒ2世の与えた主題による即興演奏を行った時、ドイツのオルガン製作者ゴットフリ−ト・ジバーマン製作のフォルテピアノが使用されました。このジルバーマン製作のフォルテピアノは、バッハが弾いた初期ピアノとして、古くから注目されてきた楽器ですが、それがいかなるもので、どれだけの可能性を秘めた物であるかということは、最近まで謎とされていました。数年前、埼玉在住の深町研太氏がジルバーマン製作のフォルテピアノを復元製作されました。この楽器は一台でフォルテピアノとチェンバロの音を出せる優れものです。
ジルバーマン製作のフォルテピアノはニュルンベルクのドイツ国立博物館に1台、ポツダムの新宮殿とサンスーシー宮殿に1台ずつ保管されています。
深町研太製作ジルバーマンフォルテピアノの音の特色は、人の声に馴染む音、オール・木製ボディーから発する暖かい音色、琴線に触れるようなピアノ・サウンドが特色です。
このフォルテピアノで武久源造が演奏したCD「 鍵盤音楽の領域Vol.8 バッハmeetsジルバーマン 」は 『レコード芸術』誌の特薦盤 になっています。
ペダルチェンバロとは・・・
ツェルモデル・チェンバロの下にもう1台16’(大)、16’(小)、8’、4’バフストップを備えたチェンバロを置き、それを足鍵盤で鳴らすチェンバロ。手鍵盤のチェンバロと連動させることも可能です。足鍵盤だけで、2オクターヴ半の音域があるので、ほとんどすべてのオルガン曲をこれで弾くことができます。
武久氏とタイアー氏がアイディアを出し合って製作したものです。日本におそらく3台(いずれもフィリップ・タイアー製作)あるペダルチェンバロのうちの1台、武久氏所有の楽器です。
ツェルモデル・チェンバロとは・・・
1728年、ドイツのハンブルグのチェンバロ製作者クリスチャン・ ツェルが製作したチェンバロ(二段鍵盤)をモデルにして製作したチェンバロを、ツェルモデル・チェンバロと称し、今回使用するツェルモデル・チェンバロはフィリップ・タイアー氏によって製作されたものです。
クリスチャン・ツェル製作のチェンバロはハンブルグ美術工芸博物館に所蔵されています。
フィリップ・タイアー製作ツェルモデル・チェンバロの音の特色は、音域により、またレジスターによって音色が多彩で、発音はやや硬質、響きはシンフォニックな広がりを持つ。
このチェンバロで武久源造が演奏したCD「J.S.バッハ ゴールトベルク変奏曲」は 『レコード芸術』誌の特薦盤 になっています。
ペダルチェンバロ考察
バッハが1750年7月28日に死んだとき、遺産目録が作成されました。それには、オーケストラの様々な楽器のほかに、7台以上の鍵盤楽器が含まれていました。この鍵盤楽器の他にバッハは末息子のクリスティアン・バッハに遺産として分けた楽器がありました。それが「ペダル付きの3つの鍵盤を持つ楽器」と書かれています。これがなにを指すのかについては昔から色々な議論がありました。単に3台のチェンバロを意味している、という説もあります。しかし、当時の他の証拠などとも結びつけて考えてみると、これは足鍵盤を伴う1台のチェンバロ(手に2段、足に1段で3つの鍵盤)を意味しているものと考えるのが適当のようです。バッハだけでなく、こうした楽器は、ブクステフーデやその弟子たちなど、この時代のドイツのオルガニストも、皆、使っていたようです。その主な用途はオルガンの練習用でした。なぜなら、当時のオルガンは人力ふいごでしか送風できなかったからです。
足鍵盤付きのピアノは、モーツァルトやシューマンも愛用していました。しかし、これらの楽器はほとんどオリジナルは残されていません。想像によって復元するしかないのです。私の楽器もその例のひとつです。 ―武久源造―
2012,02,26, Sunday