奈良芸術文芸サロン|歴史観光の佐保山茶論

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万葉・歴史講座
 
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大伴家持生誕1300年記念 万葉集講演会 (開催2018年12月1日)
大伴家持生誕1300年記念講演会

大伴家持追想


 今年は大伴家持生誕1300年にあたり、これを記念した講演会を開催します。
 大伴家持は古(いにしへ)に詠まれた大和歌を研究・追想し、万葉集(全20巻)の編纂に深く関わりました。それ故にか万葉集には家持の詠んだ歌が最も多く記されており、巻17以降の4巻は天平18年から14年間の家持の私的な歌記録をほぼそのまま年月順に並べたもので家持歌集というに近く、巻20に記されている最後の歌は家持の詠んだ歌です。神代の時代から連綿と続いた大伴家の栄光の歴史を追想する家持の心底には併せて大和の歴史があったことでしょう。私たちは古の歌とその歴史的背景を追想した家持と同じ立ち位置で万葉集を味わいその歴史的背景を追想することが出来るのです。

第1部 平成に輝く大伴家持
 お話し 南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館館長 岡本三千代


第2部 大伴家持の「独り秋の野を憶ふ歌六首」作歌の謎
 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 


開催日時 平成30年12月1日(土) 開演13時30分(開場13時)

場  所 佐保山茶論

定  員 50名 ※要予約

料  金 2,000円 ※当日会場受付にてお支払願います。

お申し込みはこちら
※備考欄に12月1日の講演会と記入し、参加人数を記入してください。

第1部 平成に輝く大伴家持
 お話し 南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館館長 岡本三千代
 

 今から約半世紀前、カルチャーブームが起こり急速に『万葉集』の人気が高まりました。なかでも編纂に関わったとされ、歌数も最も多い大伴家持については、人生の背景となる関連の故地に施設ができたり、愛好会ができたり、歌碑が建立されたり、短歌会などのイベントも行われ、家持個人を顕彰する自治体も生まれました。日本も平成の時代からいよいよ次の時代へと遷ろうとしている今年、なんと大伴家持の生誕1300年という節目を迎えています。注目され続けてきた「大伴家持」について、あらためてみなさんと共に考えてみたいと思います。武人、歌人だけでない、ひとりの人間として・・・。
岡本三千代 談


第2部 大伴家持の「独り秋の野を憶ふ歌六首」作歌の謎
 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 

 大伴家持は天平勝宝3年(751)7月に少納言に選任されて越中から都へ帰って2年、天平勝宝5年2月にここ佐保の地で絶唱3首を作った。万葉集巻19はこの3首で閉じている。続く巻20はそれ以後の宴の場で作られた歌ばかりを記録している。
 ところが翌天平勝宝6年秋七夕の日に「独(ひと)り天漢(あまのかは)を仰ぎて作る」歌8首を記録し、そのあと、この年最後の歌記録に表題の歌6首がある。「独り憶ふ」とはどうしたのだろう。その「秋の野」とは高円の野であった。聖武天皇の高円離宮への強い思いを歌っている。その6首の1首1首に痛切な思いが込められている。それをよみ込んでみたいと思う。
小野 寛 談


プロフィール

◇岡本三千代(おかもと みちよ)

甲南女子大学文学部国文学科卒業。奈良女子大学大学院人間文化研究科博士前期課程修了。文化功労者である故犬養孝氏に師事、『万葉集』を学ぶ。『万葉の道』の著者で、大阪大学の犬養先生の教え子でもある故扇野聖史氏との出会いがきっかけとなり『万葉集』に作曲。また「万葉うたがたり」という独自のスタイルでもって、1981年より演奏活動を開始、今日に至り、2010年には活動30周年の記念コンサートを大阪市中央公会堂で行った。CD(9枚)や楽譜などの作品集を制作。また備前・猪名川・明日香村の講座や、執筆など活動範囲も広がり、自治体などの依頼を受け、町づくりやふるさと活性化のために協力をしながら、広く万葉ロマンの世界を広める活動をしている。前明日香村観光開発公社理事。飛鳥を愛する会理事。2014年秋より、恩師を顕彰した南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館の館長に就任。
(万葉うたがたり会)
岡本三千代と共に活動に共鳴したメンバーにより、1982年に結成された演奏グループ。弾き語りからアンサンブル演奏まで様々な形で、全国の万葉故地で演奏活動を繰り広げている。万葉歌の歌唱がより豊かな音楽世界として提供できるように、古代衣装をまとい、万葉ドラマを演出しながら歌唱・演奏をしている。(上未歩・園田知子・村田道代・山口ひとみ)


◇小野 寛(おの ひろし)

昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。


小野寛先生揮毫による大伴家持万葉歌碑(佐保山茶論内)
(写真左)主碑・・・原文  (写真右)副碑・・・主碑の歌の読み下し文
写真をクィックしていただけば、拡大します。

小野鄒萓鹸毫大伴家持歌碑についてはこちら
 

万葉集講演会 (2017.12.6 終了)
 
大伴家持の安積皇子挽歌の真相を探る


 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 


 天平16年(744年)閏正月13日、聖武天皇の唯一の男皇子安積親王が17歳の若さで急死された。大伴家持がその2月3日に「かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも」で始まる荘重な儀礼風挽歌を作り、続いて3月24日に皇子の思い出や家持の私的な思いをこめた第2挽歌を作った。柿本人麻呂の皇子・皇女の逝去に際して作った長大な儀礼挽歌や献呈挽歌のあと、天平16年までの44年の間に9人の皇子・皇女(親王・内親王)が亡くなっているが、挽歌は1首も作られてなかった。それが家持によって今、作られたのである。それはなぜであろうか。家持の2つの挽歌の性格は全く違うのだが、それぞれどういう意味を持つのか。今は久邇京時代で、聖武天皇は難波宮に行幸中であったが、この挽歌の作られた場所は久邇京か難波か。この挽歌は作品としての理解にまだ様々の問題をかかえていておもしろい。答えは出るだろうか。その真相は明らかになるだろうか。
小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。


小野寛先生揮毫による大伴家持万葉歌碑(佐保山茶論内)
(写真左)主碑・・・原文  (写真右)副碑・・・主碑の歌の読み下し文
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小野鄒萓鹸毫大伴家持歌碑についてはこちら

万葉集講演会  (2016.12.9終了)
大伴家持の「いささ群竹吹く風の」をめぐって

 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 
「佐保山茶論」は古代日本を代表する名門大伴氏の本邸の跡地の一角にある。そこは「歴史の道」が通っているが、その門前に万葉歌人大伴家持の歌碑がある。その歌は「絶唱三首」と称される天平勝宝5年(753)2月23日作の「興に依りて作る歌」の第2首、わがやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕へかも(巻19-4291)である。初句の「わがやど」はこの佐保の大伴本邸の庭をさす。この歌は家持独自の表現「いささ群竹」と「音のかそけき」が注目される。家持はそれをもって何を言い表そうとしたか。私はこの詞句を家持の創造と考える。これを皆さんと共に考え、それが平安時代から中世にどのように伝えられてゆくか、探ってみたい。  
小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

万葉集講演会   (2015.11.20終了)
万葉集にいのちを見る

 お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛
 
 天智天皇の病い重篤になり、皇后は天皇の御寿命長くと願って、歌をたてまつられた。
    天の原ふりさけ見れば大君のみいのちは長く天足らしたり(巻2−147)
 大空を振り仰いで見ると大君の御寿命はとこしえに大空いっぱいに満ち満ちていらっしゃるという。ご病気平癒祈願の呪歌である。命をとどめるすべを求め、神に祈りをささげるのは今も昔も変わらない。
 斉明天皇代に謀略にかかって若き命を落とした有間皇子は、その死への旅路にあって、路傍の松の木の枝を結んで歌った。
    岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへり見む(巻2−141)
 天武天皇の皇子大津皇子も謀反をくわだてて死を賜るのだが、その日、いつも通いなれた池のほとりで涙しながら歌った。
    百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(巻3−416)
 時代は下がって、奈良時代天平7年、大伴坂上郎女は大伴の佐保の邸内に庵を結んで生涯を過ごした新羅渡来の尼理願の死を送って歌った。
    留めえぬいのちにしあれば敷きたへの家ゆは出でて雲隠りにき(巻3−461)
 万葉集に辞世の歌は少ないが、亡くなった人を送る歌は多い。また、この世の無常は知りながら、命の長かれと願う心はとどめ難い。そんな人の命を歌う歌を、万葉集に探って見ようと思う。
小野 寛


◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

万葉集講演会 (2014.12.12 終了)
万葉集 柿本人麻呂の名作「東(ひむがし)の野に」歌の謎に迫る


   お話し 駒澤大学名誉教授・高岡市万葉歴史館名誉館長 小野 寛

 万葉集に柿本人麻呂の、軽皇子(のちの文武天皇)のお伴をして宇陀の阿騎野(あきの)に狩りに出かけて野営した時に歌った歌がある。その中にこの「東(ひむがし)の野に」の歌がある。その原文は「東野炎立所見而反見為者月西渡」(巻1-48)とある。これは書かれた文字数が少なく訓(よ)みづらい。平安時代から鎌倉初期までは訓めなかった。鎌倉中期に学僧仙覚(せんがく)が始めて「東野(あづまの)の炎(けぶり)の立てる所(ところ)見て反(かへ)り見すれば月かたぶきぬ」と訓んだ。他に「東野(あづまの)炎(もえ)立つ見えて」と訓む本もあり、結句も「月西渡る」と文字通りに訓むものもある。それを江戸時代一の国学者で歌人の賀茂真淵(かものまぶち)が「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ」と訓んで、この「炎(かぎろひ)」は「明(あけ)る空の光の立(たつ)をいふ」と解説した。しかし「炎(かぎろひ)」は陽炎、かげろうで、真淵のいう意味はない。この「炎」は何か、どう訓むのか、考えてみよう。小野 寛

◇小野 寛(おの ひろし) プロフィール
昭和9年(1934)1月、京都市に生まれる。奈良県立奈良高等学校から昭和28年(1953)東京大学入学。昭和32年(1957)東京大学文学部国文学科卒業。昭和38年(1963)年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。昭和41年(1966)学習院大学文学部講師。昭和43年(1968)学習院女子短期大学助教授、同48年(1973)教授。昭和55年(1980)駒澤大学文学部教授。上代文学を専攻し、『万葉集』の研究、大伴家持の研究に従事する。平成16年(2004)定年により駒澤大学教授を退職、駒澤大学名誉教授となる。同年4月1日、高岡市万葉歴史館館長に就任。平成23年3月、同館長を退任、現在同館名誉館長。上代文学会顧問。四季短歌会顧問。歌誌『四季』に「万葉集講読」連載中。編著書に『新選万葉集抄』(笠間書院)、『年表資料上代文学史』(共著、笠間書院)、『大伴家持研究』(笠間書院)、『和歌大辞典』(共編、明治書院)、『孤愁の人 大伴家持』(新典社)、『上代文学研究事典』(共編、おうふう)、『万葉集歌人摘草』(若草書房)、『萬葉集全注 巻第十二』(有斐閣)、『大伴家持大事典』(編著、笠間書院)、『コレクション日本歌人選 大伴家持』(笠間書院)などがある。

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